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  • 「めぐりあい宇宙」

    「めぐりあい宇宙」

    10/19
    21世紀も25年経ったのか。。。それは、もう未来だ。
    今年になって、田中芳樹『銀河英雄伝説』、アシモフ『ファウンデーション』、富野由悠季のガンダム未見作品群、京極夏彦のミステリ、森博嗣のミステリ、堀田善衛のメタ歴史小説、チェスタトン『木曜日の男』、ヴァージニアウルフ『灯台へ』等々、前世紀の作品群と新たに大量邂逅していて、自分の脳内拡張が甚だしい。
    作品は、出逢った時が新作なのだ。
    きっと僕が出逢うまで、出逢う頃合まで、待っていてくれたんだと想う。21世紀も25年かけて。

    めぐりあい、だ。
    作品と出逢うたびに、それは指数関数的に拡張していく感覚。
    それはまるで、脳内宇宙のインフレーションというか。
    なのできっと、脳内ビックバンがまもなく引き起こされるのだ(いや、もう始まってる?)
    あらゆるアイディアがスパークしながら元素化してゆく。
    元素結合して、新たな元素が誕生してゆく。
    ニュータイプになってゆく。

    めぐりあい、宇宙だ。

  • 『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ(上)』by 富野由悠季(1989)

    『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ(上)』by 富野由悠季(1989)

    富野由悠季『機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ(上)』(1989)聴了。
    1つのガンダム世界を発明すると、その歴史の中でいろんなエピソードが縦横無尽に展開できるわけか。アニメータという想像主は世界の創造主なのだ。

  • 『機動戦士Ζガンダム第五部 戻るべき処』by 富野由悠季(1986)

    『機動戦士Ζガンダム第五部 戻るべき処』by 富野由悠季(1986)

    富野由悠季『機動戦士Ζガンダム第五部 戻るべき処』(1986)読了、ゼータ完結。
    高1の頃テレビで観た衝撃のラストとはまた違う衝撃のラストだった。
    沢山の登場人物が出てきて沢山消える、分裂的な作品世界。筋書が散漫だともいえるし、物語の拡散だとも云える。
    だからこそ描ける富野思想。それ故に高1の頃のゼータの記憶が今もスターダストの如く脳内に残留しているのだ。

  • 深く深く感謝しながら。

    深く深く感謝しながら。

    10/17
    今日は朝から赤坂古巣で先日朝5時に突如舞い降りたアイデアを三連休でカタチに仕上げた新企画のグランドデザインを披露!かなりの好感触!それはきっと神様が降ろしてくださったGIFTなのだ。感謝です。
    そこから護国寺講談社にて新雑誌Tropic編集会議。皆で細部を詰める。緻密な作業が続くけど決して嫌いではない。神性はディテールに(こそ)宿るからだ。感謝です。
    そして夕方再び赤坂古巣に戻り神様からのGIFTを具現化する為の会議・・・からの来週の大型収録の準備&各所連絡。古巣では所々でこんな風来坊の自分にも先輩後輩に声をかけられて、有り難し。感謝です。
    パラレルに多層的にバーティカルに複眼的にヒトモノコトをマルチタスクで一気呵成に、それも愉しく明るくくだらないことワイワイ喋りながら対処できるのはほんとAPさんのお陰なのです。とてもとても感謝です。
    そして夜に海の町にようやっと戻り着く。怒涛の一週間であった。
    明日からは独り篭もって、博士論文を仕上げる、雑誌の処処を書く練る磨く。
    そして次の思考を進める、深く深く感謝しながら。

  • 縁と恩と運と勘

    縁と恩と運と勘

    10/15
    「組織の論理で…」とか云われても、自分には全く響かない。
    そんな論理がほとほと嫌だから、長年働いた会社辞めたわけで。むしろ反射的(反社的にw??)に論理的に反発しちゃう。
    まだ「私の為に…」とか云われた方が、少なくとも聴く耳は持つ。情念という論理で動くタイプだからw。
    その人の論理はその人の(いいような)論理で、組織の論理はその組織の(いいような)論理、に過ぎない。
    僕は僕の(いいような)論理で生きているので、少なくとも他者の(いいような)論理は尊重する。
    勿論、例外はある。
    その例外が起動する“きっかけ”ってのが、縁と恩と運と勘だと想ってる。
    それらは、論理を超える不条理を備えているから、ある意味不可逆的に従うしかないのだ。

  • 『機動戦士Vガンダム vol.3 マリア・リーディング』by 富野由悠季(1994)

    『機動戦士Vガンダム vol.3 マリア・リーディング』by 富野由悠季(1994)

    富野由悠季『機動戦士Vガンダム vol.3 マリア・リーディング』聴了。
    ヨーロッパ編に続いてジブラルタルから宇宙に上がる。主人公が13歳になったことで少年冒険譚要素が増している富野世界。

  • “やってやれる”

    “やってやれる”

    この三連休、創作活動を只管こなしている。(誘われたゴルフも泣く泣く辞退して🥲)

    そういえば、自分は創作=creativeに関して(まあ、テレビ番組以外は)ほとんど素人なのだ。なのになぜか故あって、
    新雑誌編集長publisherとして、物語を数本。
    新コンテンツproducerとして、IP設定作り。
    アートなんか全くど素人なんだけど、デザインディレクションとかも。

    そしてそれは、めちゃくちゃ愉しい(めちゃめちゃ大変だけど)
    想像力で何処にでも行けるし、誰にでもなれる、どんな形態でもいい。

    で、そんな時、ふと想うのだ。
    自分は素人だから、むしろ想い付くのだと。
    例えば一応プロであるテレビのバラエティ番組だと、あまりにも関わりすぎて、大小細々の判断は“秒でできる”そして(多分)ほとんど間違えない(自信と経験がある)と断言できる。

    でも雑誌作りとか、IP作りとかは、なにせ未知数だから、むしろ考えてると考えるだけ、気付くことが山のようにあるのだ。
    なんでそう決まっているのか?(業界の長年の慣習?)
    なんでこんなの無いのだろう?(気付いてないだけ?)
    等々。

    なんか、むしろ素人でよかった!って想えてくるのだ。
    知らないからやれる、とでもいうか。
    当然、成功云々は全く未知数。
    だからこそ、こんなにも無邪気に“やってやれる”のだ。
    だからこそ、愉しいのです!

    そういえば、まだやったことないことあるな😛
    自分は音楽は大好きだけど、全く演奏などできない!
    だから宣言しとこう。
    還暦になったらフジロックのステージに立つ!
    ミュージシャンとして!笑

    自分は演技なんか、(学生時代のサークル以来)やったことない!
    だから宣言しとこう。
    役者やってみたい!
    映画とかドラマとか舞台とか!笑

    素人として、夢見たいな馬鹿みたいな戯言、呟いとこ。
    宣言しとくと、不思議と叶っちゃったりするので!

    https://tropic-media.jp/contents/0dbc369a48d5

  • 『北は山、南は湖、西は道、東は川』byホルスカイ・ラースロー (2003)

    『北は山、南は湖、西は道、東は川』byホルスカイ・ラースロー (2003)

    ノーベル文学賞を受賞したハンガリーの作家クラスナホルスカイ・ラースローが京都を舞台に描いた『北は山、南は湖、西は道、東は川』(2003),早稲田みか訳,松籟社,2006)。
    沼野充義先生のSNSによると現在版元は品切れ状態らしいが2018年11月に購入していた。確かその時開催してたヨーロッパ文芸フェスティバルで紹介されていて購入したのであった。
    最初の数ページしか読んでいないまま本棚に。
    読んでみよう。
    本との邂逅とは、この時間差も愉しいのです。

  • 『キラレ×キラレ CUTTHROAT』by 森博嗣(2007)

    『キラレ×キラレ CUTTHROAT』by 森博嗣(2007)

    森博嗣『キラレ×キラレ CUTTHROAT』(2007)読了。
    Xシリーズ2作目。
    シリーズによって、事件の雰囲気が変わるのは登場人物のキャラ造形が違うからなんだろうけど、それでも各シリーズに通暁する統一感も透けて見えて愉しい。
    どんなに忙しくても森博嗣ミステリは読めてしまうから不思議だ。