久々に文章を書いてみようと想う。
いや、短い感想は、ちょこちょこ何ならほぼ毎日書いているのだけれど、なんていうか長文が書けない症候群がここ数年続いているのです。
その理由は色々あるけれど、まあその分析自体がもどかしくて、それで書けない自分がいるわけです。
たとえば、最近、人の評論が嫌いなんですよね。
なんでこの人に、その作品の優劣をいちいちあーだこーだ云われなきゃいけないのだ、って想ってしまうのです。なので翻って、自分が他人様に向けて、いちいち評論したくないわけですね。
同様に、人の解説が嫌いなわけです。その評論家の解説が、たとえどんなに素晴らしい視点の、どんなに腑に落ちる解説だとしても、その作品のかけがえなさに比して、なんかとてつもなく邪魔なわけです。なので翻って、自分が他人様に向けて、いちいち解説したくならないわけですね。
まあ、誰が、何を想っても、何を書いても、自由なわけだから、というか、その自由が、一番人類にとって大切なわけですから、それは、それ、大切な行為なんです、評論も解説も。わかっちゃいるのです。
でも、自分には、邪魔なわけなんです、どーしよ。
なので、自分が何かの作品なりに触れて、とても感動したりして、それを文章に書いてみようかなとか想ったりしても、結局、「凄いなー」とか「素晴らしかった」とか以上のことを描きたきたくわけです。むしろ書きたい視点とか、論点とかは遥かにたくさんあったとしても、むしろ書けないわけです。なので平々凡々な感想つぶやきに堕してしまうのです。
たとえば、誰かの「これ見た方がいいです」とか見ちゃったりすると、もうなんていうか嫌な気持ちいっぱいになってしまうのです、困ったことに。
たとえば「日本のテレビはつまらない」等々の、テレビで有名になった某の意見とか見ちゃうと落ちてしまうのです、正直なところ。
なら、「お前も書かなきゃいいじゃん!」
そう、全くもってその通り!
〜てな感じのループ&ループで、文章が結局書けないわけですね。
でも、それでも書こうとしている自分が(今、此処に)確かに存在しているわけですよね。
「本を書きませんか?」と云ってくださる方がいらっしゃいますし、何ならもう数年待たせてしまっている方もいらっしゃるわけです。なのでそれはもう、「すみません!」のループ&ループなわけです。
博論も書きたいし(書かなきゃいけないし)
手がけている、手がけようとしている、手がけたい、プロジェクトを進める為にも、書きたいことが、いっぱいいっぱいあるわけです。
自分が、何かを体験して、何かを想って、何かを考えて、そのことを綴るという営み自体が、つまるところ創作それ自体の根本なんだと想うのです。
ならば、この”書けない”という事象を、自分は自分で乗り越えなくちゃならないとは想うのです。
創作を(なんだかんだいっても)自分の人生の根本にしてしまって半世紀にわたるわけですから、これから生きていく為にも。
書きたい以上に、書かなければならないわけです、これからの人生を愉しむ為にも。