3/11
堺正一『塙保己一とともに-ヘレン・ケラーと塙保己一-』
『べらぼう』で鳥山検校が登場して、検校について検索していたら、同時代の国学者『群書類従』を編纂した塙保己一が検校まで登り詰めたことを知る。そして幼少期に盲目となるも学問の道を透徹する保己一のエピソードを母に聞いて勇気づけられたのがヘレン・ケラーだったのだと。とても勇気づけられる。


3/11
堺正一『塙保己一とともに-ヘレン・ケラーと塙保己一-』
『べらぼう』で鳥山検校が登場して、検校について検索していたら、同時代の国学者『群書類従』を編纂した塙保己一が検校まで登り詰めたことを知る。そして幼少期に盲目となるも学問の道を透徹する保己一のエピソードを母に聞いて勇気づけられたのがヘレン・ケラーだったのだと。とても勇気づけられる。


自分の使う言葉というのを、妙に気にしている。
それは辞書的に正しいとか、慣用的にそうだとか余り関係なく、自分のinspirationに併せてというか。
例えば、
・「おもう」は、「思う」ではなく、「想う」を使う。
・「たのしい」は、「楽しい」ではなく、「愉しい」を使う、楽しいは楽(らく)とは限らない。
・「いう」は、「言う」ではなく、「云う」を使う。
・「〜なこと」には、「事」を使わず、「こと」にする。
・「行く」は、訪れた場合は、「訪く」とする。
・「良い悪い」は「いい悪い」と書く。自分にとって「いい」は「良い」とは違うけど、「わるい」は「悪い」意味なので。
・「はじめる」を「始める」とあまり書きたくない。「終わる」は「了る」と書きたい。
・「見る」と「観る」、「立つ」と「起つ」を微妙に気にしている。
・「わかる」に、「分かる」は使わない、分けてないから。同様に「解る」「判る」もあまり使いたくない、「解って(判って)ないから」。
・「積読」は使わない、積んでないから。「蓄読」と称している。
・audibleで読み(聴き)了ることを、「au了」としているw
・なんとなく「件(くだん)」と「類(たぐい)」は使いたい、なんとなく。
・句読点「、」「。」は結構使う、今の時流に抗って。


久々に文章を書いてみようと想う。
いや、短い感想は、ちょこちょこ何ならほぼ毎日書いているのだけれど、なんていうか長文が書けない症候群がここ数年続いているのです。
その理由は色々あるけれど、まあその分析自体がもどかしくて、それで書けない自分がいるわけです。
たとえば、最近、人の評論が嫌いなんですよね。
なんでこの人に、その作品の優劣をいちいちあーだこーだ云われなきゃいけないのだ、って想ってしまうのです。なので翻って、自分が他人様に向けて、いちいち評論したくないわけですね。
同様に、人の解説が嫌いなわけです。その評論家の解説が、たとえどんなに素晴らしい視点の、どんなに腑に落ちる解説だとしても、その作品のかけがえなさに比して、なんかとてつもなく邪魔なわけです。なので翻って、自分が他人様に向けて、いちいち解説したくならないわけですね。
まあ、誰が、何を想っても、何を書いても、自由なわけだから、というか、その自由が、一番人類にとって大切なわけですから、それは、それ、大切な行為なんです、評論も解説も。わかっちゃいるのです。
でも、自分には、邪魔なわけなんです、どーしよ。
なので、自分が何かの作品なりに触れて、とても感動したりして、それを文章に書いてみようかなとか想ったりしても、結局、「凄いなー」とか「素晴らしかった」とか以上のことを描きたきたくわけです。むしろ書きたい視点とか、論点とかは遥かにたくさんあったとしても、むしろ書けないわけです。なので平々凡々な感想つぶやきに堕してしまうのです。
たとえば、誰かの「これ見た方がいいです」とか見ちゃったりすると、もうなんていうか嫌な気持ちいっぱいになってしまうのです、困ったことに。
たとえば「日本のテレビはつまらない」等々の、テレビで有名になった某の意見とか見ちゃうと落ちてしまうのです、正直なところ。
なら、「お前も書かなきゃいいじゃん!」
そう、全くもってその通り!
〜てな感じのループ&ループで、文章が結局書けないわけですね。
でも、それでも書こうとしている自分が(今、此処に)確かに存在しているわけですよね。
「本を書きませんか?」と云ってくださる方がいらっしゃいますし、何ならもう数年待たせてしまっている方もいらっしゃるわけです。なのでそれはもう、「すみません!」のループ&ループなわけです。
博論も書きたいし(書かなきゃいけないし)
手がけている、手がけようとしている、手がけたい、プロジェクトを進める為にも、書きたいことが、いっぱいいっぱいあるわけです。
自分が、何かを体験して、何かを想って、何かを考えて、そのことを綴るという営み自体が、つまるところ創作それ自体の根本なんだと想うのです。
ならば、この”書けない”という事象を、自分は自分で乗り越えなくちゃならないとは想うのです。
創作を(なんだかんだいっても)自分の人生の根本にしてしまって半世紀にわたるわけですから、これから生きていく為にも。
書きたい以上に、書かなければならないわけです、これからの人生を愉しむ為にも。


映画『名もなき者』最高だった!
冒頭静かに始まり1曲奏でると、一瞬で打ちのめされ、そこからBob Dylanの人生も、この映画自体も、そしてTimothée Chalametも激変する。凄いなー。

映画パーソナリティのコトブキツカサとバラエティプロデューサーの角田陽一郎が芸能界やテレビや映画にまつわることを毎週木曜日22時よりライブトーク!

21ゲスト:土屋雄一郎(つちやゆういちろう)
京都教育大学 社会科学科 教授。1968年、静岡県熱海市生まれ。
立命館大学産業社会学部卒。旅行会社に就職。その後大学院で環境社会学と出会う。 いわゆる迷惑施設と称される施設をめぐる地域社会における紛争を研究対象とし、その紛争をめぐる人間関係やさまざまな価値観、利害の対立をニンビィ(Not-In-My-backyard)という視点から捉え、合意形成のあり方を明らかにするためのフィールドワークを各地で行う。

映画『HIPGNOSIS レコードジャケットの美学』
AIなど存在してなかった、況んやCGなども無い世界で、奇想天外な組み合わせの羅列、空想、妄想をビジュアル化する行為。ユーミンの『昨晩お会いしましょう』『VOYAGER』のアートワークも大好きなのだ。


『ゴルフ「ビジョン54」の哲学』(ピア・ニールソン/リン・マリオット/ロン・シラク著)読了。
ゴルフをやらない友人から、ゴルフ以外にも通用するいい本だときいて(^^)
18H、全部バーディで54打。
ゴルフも人生も、それを目指せる(目指すべき)という話。


3/1 弥生朔日
朝起きて、ゼレンスキー🇺🇦とトランプ🇺🇸の決裂を知って、自分の中で最近もやもや感じていた、世界の核心が、歴史の確信に変わる。僕も革新する準備をはじめる。
心無いメッセージが舞い込んで来たりする。
心あるメッセージにだけ返信することにする。
世界のからくりに興味がある。
自分で作る、自分で奏でる、自分でデザインする。
いいことにも、よくないことにも、きっと意味がある。
