森博嗣『デボラ、眠っているのか? Deborah,Are You Sleeping?』(2016)au了。Wシリーズ4作目。
今から10年前の作品だけど、これだけ人工生成AIが跋扈してる今2025年に読むと、森博嗣のその先見性と卓越性に驚愕させられる。
凄い世界の到来がいよいよ始まっちゃうんだって胎動を感じる。


森博嗣『デボラ、眠っているのか? Deborah,Are You Sleeping?』(2016)au了。Wシリーズ4作目。
今から10年前の作品だけど、これだけ人工生成AIが跋扈してる今2025年に読むと、森博嗣のその先見性と卓越性に驚愕させられる。
凄い世界の到来がいよいよ始まっちゃうんだって胎動を感じる。


11/24
足を洗う。
ちなみに英語ではなんて云うのかと思って調べると、「wash one’s hands of ~」(~から手を洗う)となるらしい。我が国では足だけど、彼の国では手になるのがおもしろい。
そういえばふと我に帰ると、どう足を洗うかを始終考えてる人生だなー。
きっとひとつの場所には長く居れない“渡世人”浮浪雲=flow雲、なんだと想う。
アルゼンチンに行きたい。


11/23
日常がどこまで現実味があるか?って日頃よく考える。これだけAIが進んで、表現されるヒトモノコトがAI生成で満たされまくると、やがて間も無く参照元のビッグデータもAI生成物で占められるようになっていって、世界は“ある方向”のみに収斂して行く気がする。その借物観/仮物観が現実になって行く遷移の間隔に立ち会ってる感覚は(いい悪いじゃなくて)なんか不思議な幻惑的感覚なのです。日常こそfictionであるというか、仮に周囲のヒトがAI(ロボット?アンドロイド?サイボーグ?ウォーカロン?)になっちゃってしまうとしても、なんかrealがfictionになって行くそんな遷移世界に遊蕩しててもいいのかな?とも想えてしまう自分がいる訳です。これはきっと長年テレビというキラキラした仮物/借物で構成されている世界に自分の脳を浸して来た副作用だとも判っているのだけれど、芭蕉の“月日は百代の過客にして“の過客とは、こんな感覚なんじゃ無いかとも想うのです、現実とは想い出でしかないというか、その想い出もレタッチされまくった画像のような。


小川哲『ゲームの王国(上)』au了。
1970年代のカンボジアが舞台。不条理がゲームの様に続くクメールルージュの時代。登場人物が多くて、生と死がゲームのように繰り返されていく。


Eric R.Scerri『周期表 いまも進化中』(丸善サイエンスパレット,2013)読了。
訳あって、元素周期表に今興味をめちゃくちゃ抱いている。東大の指導教官にその話をしたところ、この本を紹介していただいた。即読、おもしろかった!
科学者と化学者は(後から見ると)どんどん間違った理論をバカスカ発表したお陰で、その蓄積で科学は進んで行くのだ。今教科書で見る周期表PeriodicTableもまだまだ進化するらしい!


映画『落下の王国 THE FALL』ターセム・シン監督(2006)の4K上映。
最高だったー!!どうしても観たくて、見た甲斐がありました。どのシーン、どのカットも美しくて、カッコよくて、幻想的で恍惚感で脳が彷徨う揺蕩う、僕の理想の映画だ。



森博嗣『風は青海を渡るのか? The Wind Across Qinghai Lake?』(2016)au了。Wシリーズ3作目。
このWシリーズはとても静的だ。(元々森博嗣作品はどれもそれほど動的では無いけれど)この静的な考察の交錯がとても心地よい。


エリエット・アベカシス『クムラン』(1996)読了。
死海文書にまつわる神学ミステリ。
確か松岡正剛千夜千冊で言及されていておもしろそうだと古本を購入したのが2012年。そこから半分くらい読んだんだけど、読了せぬまま長年眠っていた。先日、手に取り続きを読み始めたら、おもしろく一気読み、読み終わるのに13年かかったw本もぼろぼろで、まるで二千年以上眠っていた死海文書を読んだみたいだ。


NTT R&Dフォーラム2025に訪って来た。
IOWNとは、「Innovative Optical and Wireless Network(革新的光・無線ネットワーク)」の略称で、NTTが提唱する次世代の通信基盤構想。
その構想を軸にあらゆる分野の研究(基礎技術、汎用技術、社会課題、自然災害、宇宙、エンタメ、文化創造)をやっていて、その裾野の広さと着眼点の多様性に度肝を抜かれた。
AI生成や光量子コンピュータ、まさにQuantum Leap(飛躍的進歩)なおもしろい時代がやってきた。
