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  • 『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』

    『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』

    『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』観た。
    なるほど!な構想と展開!
    なんかファーストガンダム映画館に観に行った小5の頃のファーストエクスペリエンスを憶い出した。

  • 『フーコーの振り子 上』by ウンベルト・エーコ

    『フーコーの振り子 上』by ウンベルト・エーコ

    ウンベルト・エーコの長編2作目『フーコーの振り子 上』(1988.邦訳’93)読了。
    14世紀が舞台の『薔薇の名前』と打って変わって、20世紀の出版社が舞台。そこで繰り広げられるテンプル騎士団や十字軍等の圧倒的な幻惑的歴史的オカルト与太話の数々。
    そんな蘊蓄を語りたい(遊びたい)が為の場の小説。
    エーコにとって小説というのは遊戯場なのだ。心底憧れる。


    臆病でいられるのは、他人の勇気が状況にそぐわない空虚なものに思われるからなのか、それだったら、思慮分別というものが人間を臆病にさせることになるし、絶好の〈機会〉を窺いながら、それが〈機会〉かどうかの判断を下すために人生を過ごしているかぎり、〈機会〉を逸してしまうことになる。〈機会〉は本能で選ぶもので、その瞬間にはそれが〈機会〉だということはわからないのだ。
    上p.195


    モトカレミンというのは、アビケンナと同時代のイスラム教の神学者の急進派のことです。彼らが言うには、この世界は不慮の事故による微塵のようなもので、神の意志が一瞬だけ働いたことによって凝固した。つまり、神がその一瞬によそ見をしていたら、宇宙は粉々に砕け散っていたままで、無秩序な状態で原子が漂う無意味な存在だったというわけです。
    上p.385
  • 『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』@NHK大河ドラマ

    『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』@NHK大河ドラマ

    『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
    横浜流星さん凄くいい!なんてったって華がある!
    脚本は森下佳子さん(大学の同級生)

    https://www.nhk.jp/p/berabou/ts/42QY57MX24/

  • 『幻惑の死と使途 ILLUSION ACTS LIKE MAGIC』by森博嗣

    『幻惑の死と使途 ILLUSION ACTS LIKE MAGIC』by森博嗣

    森博嗣『幻惑の死と使途 ILLUSION ACTS LIKE MAGIC』au了。S&Wシリーズ6作目。作品中の犀川創平助教授の言葉にまさに得心。
    「何かに気がついて、新しい世界が見えたりするたびに、違うところも見えてくる。自分自身も見えてくるんだ。面白いと思ったり、何かに感動したりするたびに、同じ分だけ、全然関係のない他のことにも気がつく。これは、どこかでバランスを取ろうとするのかもしれないね。たとえば、合理的なことを一つ知ると、感情的なことが一つ理解できる。どうも、そういうふうに人間はできているみたいだ」

  • 1/16(木)22時「2025年1発目!例の件」ほぼ週刊寿司特161【コトブキツカサスペシャル】

    1/16(木)22時「2025年1発目!例の件」ほぼ週刊寿司特161【コトブキツカサスペシャル】

    今日1月16日木曜22時より生配信!

    ほぼ週刊寿司特161【コトブキツカサスペシャル】

    「2025年1発目!例の件」

    映画パーソナリティのコトブキツカサとバラエティプロデューサーのカクタ教授が芸能界やテレビや映画にまつわることをライブトーク!

  • 人生なんて、フィクションである。

    人生なんて、フィクションである。

    1/15
    自著にも書いてるけど、
    人生はドラマではなくてバラエティである
    とずーっと想って来たけど、
    バラエティってのも実はドラマであって、
    ドラマってフィクションなのであるから、
    実は要するに、
    人生なんて、フィクションである。
    とようやくわかって来た。
    その人生=ドラマを、どんなテーマで、どんな演者で、どんな脚本で、どんな演出で、どう編集するかは、自分の脳内フィクション次第だからだ。
    ってのもやっぱ真実なんだな。
    フィクションなのに、真実なんだ。

  • 1/14満月:メルマガDIVERSE第163段『小説と音楽』

    1/14満月:メルマガDIVERSE第163段『小説と音楽』

    『小説と音楽』

    「小説に創られる」
    今年2025年の最初の満月です。
    僕は昨年末からの小説読破熱が続いていて、ずーっと小説を読んだり、車移動中はAudibleで小説を聴いてたりしてます。
    なんか、やっと“読める”ようになった気がするのです。
    いや、今までもそれなりに読んでいたとは思うのですが、なんか今までの感覚とは違って、今はどの作品でも、その世界の中に入り浸って、その世界の中を探索している気分なのです。今までは、フィクション=作り物だと想っていたんだと思うのです、あくまでエンタメだと。自分がその作品を享受してるんだと。でも今は、むしろ逆なんです。自分が色んな小説に享受されているとでもいうか。
    そしてその最近の感覚は、むしろリアルとでもいうか、実際の人間に会った時には、いいも悪いも、なんていうか色んな想いが去就すると想うのですが、まさにそれに近い感覚なのです。
    つまり、今、僕の中では、リアルに人と出会うことと、小説と出会うことに、全く差がなくなっている感覚なのです。
    とてもとても不思議な感覚です。
    自分という人間が、新たな人間に、小説に創られていくのです。
    「音楽に救われる」

    https://www.mag2.com/m/0001683502

  • 『死海のほとり』by遠藤周作

    『死海のほとり』by遠藤周作

    遠藤周作『死海のほとり』読了。
    今から40年前の中学生の時分、塾の国語の問題で出題された一節があまりに気になって、すぐ買って読んだ作品が『海と毒薬』。そこから彼にハマり『沈黙』『反逆』といろんな作品は思春期に読んでいる。と云うことは、そこから40年近く彼の作品には触れていないことになる。
    今回未読だった『死海のほとり』を読んでみて、あまりに衝撃を受けた。きっと今読む作品だったのだ。
    さて、自分はこれから何ができるのだろう。

  • 『魍魎の匣』by京極夏彦

    『魍魎の匣』by京極夏彦

    京極夏彦『魍魎の匣』読了。
    なんて云うかうまく云えないんだけれど、最近ようやく他人に幻想(理想?願望?拘泥?)を抱かなくなって、小説が(よく)読めるようになった。
    所詮全ての世界は自分の脳内(匣)でどう捉えるか?という自分が自分勝手に創ったフィクションなわけで、ならば現実も空想も本来大差が無いわけで、なんか世知辛い世の中(魍魎)も薔薇色の未来に一瞬で変わる(逆もまた然り)からなんだと想う。
    きっとこの小説のように。

  • 音楽に救われた。

    音楽に救われた。

    1/11
    芥川龍之介がスライを聴いて“お歌が上手”とほざいたと言う

    音楽に救われた。
    やなことがポツポツあって、いっそのこと全部投げ出しちゃうかとか、そんな闇の中にいたとしても、素晴らしいミュージシャンの素晴らしい音楽を体感していると、そこに一筋の光明が射し込んで来て、全幅に拡がって、やがて身体と脳内が光で満たされる。
    そこから自分もまだまだやってやろうって想えてくるんだ。
    今日も音楽に救われた。