長野県立美術館、東山魁夷館を訪れる。
屋外インスタレーション“霧の彫刻”が始まると幼稚園児たちがはしゃいで愉しい。





9/17
いろいろ頑張ってるな、頑張れてるなとは、我ながら想うけれど、それは多分
いつ止めちゃっても、いつ消えちゃってもいいや…
っていつもいつでも想ってるからなんだろうな。
つまり“我慢の使いみち“が他者とは異なるってことだ。
頑張るために、我慢はできるけど、
我慢のために、頑張ることはできない。


手塚治虫総指揮の大人向けアニメ映画『千夜一夜物語』(1969)を手塚プロダクションYouTube期間限定公開で観る。
やなせたかしが美術/キャラデザイン担当なの朝ドラ『あんぱん』で知った。なかなか愉しかった!
オイディプス王やファウスト、バベルの塔などいろんな幻想譚がミックスされたエロティックでアダルトでニヒルな手塚版シンドバッドの冒険。



今更ながら、My Name is Prince(1992)
凄まじくカッコいい!
俺の名前はプリンス、そして俺はファンキー
俺の名前はプリンス、唯一無二の存在
ファンクするのに来たんじゃない
お前の娘を手に入れるまで、この町から去らないさ
始まりのとき、神は海を創造し
7日目に、俺を創造した
彼は休もうとしていた時、その音を聞いた
ギターをクールに掻き鳴らす音さ
高音をぶちかまそうとしたけど、弦を切っちまった
神は心配してたけど、俺が歌うのを聞いて安心したみたいだ
My name is Prince and I am funky
My name is Prince, the one and only
I did not come 2 funk around
Till I get your daughter, I won’t leave this town
In the beginning God made the sea
But on the 7th day He made me
He was tryin’ 2 rest y’all when He heard the sound
Sound like a guitar cold gettin’ down
I tried 2 bust a high note, but I bust a string
My God was worried until he heard me sing


9/14
新雑誌の件。
どんな装丁にするか?
どんなロゴで行くか?
どんな見出しで行くか?
あれこれかれこれ、ずっーとずっーと考えてる。
どんなモノでも一周廻ると凄く良く見えたり、もう一周するとイマイチに感じたり、逡巡逡巡逡巡ぐるぐるぐるぐる。
僕はそんな決断の瞬間で一番気をつけてる点は、
マーケティング的視点や客観的視点などは決して持たないこと。要は全無視。
前者はそんなモノはそもそも無くて所詮電通が造った幻想だしw
後者は全て主観がいーように決めつけた客観という名の偏見だし。
ならば自分の幻想と偏見をひたすら貫くのみなのです。
彼此三十年そうやって創って来たので、そこにブレは無いのです。不器用だが是非も無し。


森博嗣『λに歯がない λ HAS NO TEETH』(2006)読了。Gシリーズ5作目。
森博嗣ミステリは話(作品内 会話)が多岐に渡る、今回は生と死がテーマ。
萌絵「二つの疑問です。一つは、どうして、いつかは死んでしまうようにできているのか?もう一つは、それが自然の摂理だとして、それに逆らうことは、どんな意味があるのか?」
犀川「前者については、観念的な議論をすれば宗教に近づく。科学的な議論をするには、まだ人間の知識は未熟すぎる。後者の疑問については、どちらの意味かな?」


9/13 雨の土曜日、三連休初日。
元々あった予定がキャンセルになり、その分やること考えることは沢山あるのだけれど、今週はフルスロットルでガンガン進めてたので、感情飽和状態なので、今日はむしろダラダラすることにした。
とは言え年末創刊の新雑誌のLINE公式作ったり、ドメイン取ったり、メール用意したり諸々作業はやる。昨夜、ロゴ案と表紙案の初稿をアートディレクターから戴き、朝から妄想が膨らんじゃったから。
今日のダラダラを、明日からの反転攻勢に!


アイザック・アシモフ『ファウンデーションの彼方へ 銀河帝国興亡史4(上)』(1982)聴了。
前作から三十年を経ての続編。その間の三十年で進んだテクノロジの進化が小説内技術の記述に反映されてる分、三十年前の驚愕の未来暗示感が薄れてはしまってる。


富野由悠季『機動戦士Ζガンダム 第三部 強化人間』(1985)読了。
Ζの世界線というのは大きな戦争(一年戦争)が収束された後の、拡散に向かう話なんだな(テレビ放映当時の僕にはよく伝わってなかった💦)
なので登場人物が綺羅星のように多い。散漫とも云えるし、以後の各世界線を描くための富野さんの拡張とも想える。
