ブログ

  • PARALLEL・TRAVEL@大阪・関西万博

    PARALLEL・TRAVEL@大阪・関西万博

    間も無く閉会の大阪・関西万博に訪ってきた(2回目)
    観られる国のパビリオンをふらふらと。やっぱり愉しい。
    それはその国のディスプレイやホスピタリティを通して、その国の文化や経済が何を大切にしているか?が朧げに感じられるから愉しいのだ。

    尊敬する方が素晴らしいとおっしゃっていて、NTTパビリオンはぜひ観たくて、観させていただいた。

    画像

    テーマはPARALLEL・TRAVEL
    素晴らしかった。
    3つのZONEに分かれ、
    コミュニケーションの進化を見せるZONE1

    画像

    時間と空間の隔たりを超えるPerfumeの3DパフォーマンスのZONE2

    画像

    「自分」が生成AIで踊る変わるZONE3

    画像

    自分と他者、自分と社会、テクノロジとネイチャ、そして自分と次の自分、それらを繋ぐ=コミュニケーションを考えさせられるエンターテイメントだった。
    こういうの創ろう!
    待ってろよ、世界。

    画像

    https://tropic-media.jp/contents/2f187508298f

  • 10/9(木)大阪・梅田 蔦屋書店ここでしか聞けない“プロの集客&発信術”が大集合!

    10/9(木)大阪・梅田 蔦屋書店ここでしか聞けない“プロの集客&発信術”が大集合!

    10/9(木)大阪・梅田 蔦屋書店
    ここでしか聞けない“プロの集客&発信術”が大集合!
    角田陽一郎さん(TVプロデューサー/新雑誌創刊)
    三浦孝偉さん(『プロ集客』著者)
    橋本夏子(『女性に売れる言葉とデザイン』著者)
    「売れる企画・選ばれる個人の作り方」

    盛り上がりましたー!
    夏子さん、三浦さん、モデレータの住谷さん、TSUTAYAさん、そしてご来場の皆々様ありがとうございました!!😊
    新雑誌Tropic創刊したら、またイベントやりたいです!!!

  • 10/8満月:メルマガDIVERSE第181段『Tropic(トロピック)講談社より12月に新創刊!』

    角田陽一郎のメルマガDIVERSE vol.181 2025年10月8日Full Moon

    『Tropic(トロピック)講談社より12月に新創刊!』

    Tropic(トロピック)講談社より12月に新創刊!

    講談社より”知の熱帯”を創造するメディア「Tropic」(トロピック)を2025年12月に創刊いたします。

    今話題のアーティスト・芸能人・文化人が、今一番興味ある学問分野にフォーカス。

    アカデミックとエンターテイメントが融合する新しい紙メディアです。

    Tropicとは回帰線。

    北回帰線と南回帰線に挟まれた場所がtropical(熱帯)です。

    この雑誌はそんな知の熱帯を創造します。

    なぜ、今、新たに紙のメディアを創刊するのか?

    一体どんな方が登場するのか?

    一体何を探求するのか?

    きっとそこには、ネットでは読めない”野生の知性”が胎動しているでしょう。

    編集長は、元TBSテレビのプロデューサーでバラエティプロデューサー/文化資源学者の私、角田陽一郎。

    ただいま鋭意絶賛企画進行中です。

    こちらで、随時情報を発信しますので、ご期待くださいませ。

  • 意味の意味

    意味の意味

    10/8
    意味などどーでもいい気がするが、意味にこそ意味がある気もする。
    「意味などない」という存在にも、やっぱり意味があるからだ。
    他人に評価されるされないや、売れる売れないや、ヒットするヒットしないに、拘束・拘泥・束縛されるのが根本嫌なのにも拘らず、それでもそれらが軸になるようなプロデューサーという職業を生業にしてしまった業なのか、すると必然的に僕はそのヒトモノコトの、今、此処に、存在してる意味を、意味だけをひたすら追い求め続けて来たような気がするのだ。
    意味なんかどーでもいいや、
    とも想うけど、想いたいけど、
    やっぱ意味には意味がある気がしてならないのだ。
    もうそれは、宿命なんだろうな。
    人生が二回あるなら、意味を求めない人生ってパターンもやれるかもだけど、一回キリだからね。
    もう生きてきてだいぶ経過したし、その性分は変わらないのかもしれないし、それでいいのだとも想うし。
    そう想うことにしか、自分が生きてることの意味を見出せないのかもしれないけど。
    意味のある人生かどーかはともかく、あらゆるヒトモノコト森羅万象の意味を探りたいんだろーな。

    https://tropic-media.jp/contents/6c318971a3ad

  • 『Gのレコンギスタ 1 行け!コア・ファイター』(2019)

    『Gのレコンギスタ 1 行け!コア・ファイター』(2019)

    富野由悠季総監督『Gのレコンギスタ1 行け!コア・ファイター』(2019)を鑑賞。
    主人公が主人公メカにいつどう乗るか?というのがガンダム物語の始まりの始め方なのだなと実感。

  • 『THE IDEON 接触篇/発動篇』(1982)

    『THE IDEON 接触篇/発動篇』(1982)

    富野善幸総監督『THE IDEON 接触篇/発動篇』(1982)観る。
    ガンダムを熱狂的に見ていた当時の自分はスルーしていた伝説巨神イデオン。いろんな要素、その後のアニメに与えた影響がそこかしこに垣間見られる。純粋無垢な子どもこそが戦闘パワーの根源になるという発想が子ども向けアニメのキーになる等々。
    そしてこれか、皆殺しの富野と云われる禁断のラストというのは!

    https://tropic-media.jp/contents/75cbfdb379ec
  • 誰のためにでもなく

    誰のためにでもなく

    10/5

    「自分が何かを作るときに、マーケティングというのは一切無視してきた、自分が作りたいものを作ってきた」と長年云ってきた。
    でも実は、嘘だった(のかもしれない)…とさっき気づいた。
    富野由悠季監督の『映像の原則』を今朝読んでいて(やっと)気づけた。

    実際はいつも、誰かのために作ってきてた(ような気がする)。
    それを生み出すことで、密かに誰かに気に入られようとしていたのだ。
    それはつまり、何かを作ることと誰かに気に入られることを、無意識に繋げていたのだ。姑息だったのだ。
    それが間違ってたとは想わないけど、少なくともpureじゃない。何処かで何かの言い訳をしてたのだ。
    pureを装ってpureじゃなかったのだ。ズルかったのだ。
    だからcreatorになれなかったのだ、なってなかったのだ。

    でも、今は違う。今からは違う。
    いい歳して気づくのが遅いけど。なにせ五十五年もかかった。
    誰のためにではなく、自分のために
    今からは、作ろうと想う。
    それは絶対的に孤独な作業だけど、やってやろうと想う。

  • 『イナイ×イナイ PEEKABOO』by 森博嗣(2007)

    『イナイ×イナイ PEEKABOO』by 森博嗣(2007)

    森博嗣『イナイ×イナイ PEEKABOO』(2007)読了。
    東京が舞台のXシリーズの1作目。那古野(名古屋)市が舞台のGシリーズと並行で進む。

  • 『映像の原則 改訂二版』by 富野由悠季(2024)

    『映像の原則 改訂二版』by 富野由悠季(2024)

    モノを作っていると、巨大な(時には瑣末な)敵に遭遇して打ち拉がれることが多々ある。
    もうやめちゃうか?
    何でやってんだろ?
    誰も助けてくれない・・・
    文句ばっか言いやがって・・・
    的なね。
    今日は、この富野監督の『映像の原則』を朝から読み始めて、すっかり癒された。
    いや、癒された・・・って言い方はおかしいか?
    勇気をもらう?
    自分もこれでいいんだって、少しだけ認められる?
    ・・・そんな感覚を戴けたのだ。

    アニメータの生き方というか、そんな漠然とした啓発本ではなくて、この本は、コンテの描き方が、徹底的に実践的に書かれた技術書と云っていい。
    だからこそ、共感できるのだ。
    僕はアニメータではないけれど、バラエティ番組の制作者として、今まで「こう想う」と闇雲に信じて盲滅法に行ってきたコンテンツ制作技法が、間違ってなかったんだと、富野監督に厳しく指導されたとでも云うか。

    人生が辛いのは、その道程が厳しいからじゃないんだ、と想う。
    きっと、その道程が、空虚だと辛いのだ。

    「そして“どのように美人であるのか”と描くことが作品のテーマになり“その美人がスポーツをやっている“というのが作品の発端になって、“その美人は振られてしまった“というのがストーリーのアイデアになり“振られた結果、美人はより美人になった“というのが、最終的なキーワードになります。
    その結果“走ることの素晴らしさに目覚めた人は本当に美しい“というのがアイデアとストーリーを帰結させるためのプロットになって、表現としては、“その走り方とは、呼吸をしないある一瞬“に表現の力点を置いてみる、ということで、こういう視点を手に入れると映像作家は燃えるのです。
    そのストーリーのドンデン返しとして、“美人でなくても美人になれる“という普遍的な真理を語ることで、ストーリー・テリングに高めることができるのです。
    そして、それは本当におもしろいよねというのが、作品評になります。」p.72

    モノを作っていると、巨大な(時には瑣末な)敵に遭遇して打ち拉がれることが多々ある。
    もうやめちゃうか?
    何でやってんだろ?
    誰も助けてくれない・・・
    文句ばっか言いやがって・・・
    的なね。
    今日は、この富野監督の『映像の原則』を朝から読み始めて、すっかり癒された。
    いや、癒された・・・って言い方はおかしいか?
    勇気をもらう?
    自分もこれでいいんだって、少しだけ認められる?
    ・・・そんな感覚を戴けたのだ。

    アニメータの生き方というか、そんな漠然とした啓発本ではなくて、この本は、コンテの描き方が、徹底的に実践的に書かれた技術書と云っていい。
    だからこそ、共感できるのだ。
    僕はアニメータではないけれど、バラエティ番組の制作者として、今まで「こう想う」と闇雲に信じて盲滅法に行ってきたコンテンツ制作技法が、間違ってなかったんだと、富野監督に厳しく指導されたとでも云うか。

    人生が辛いのは、その道程が厳しいからじゃないんだ、と想う。
    きっと、その道程が、空虚だと辛いのだ。

    「そして“どのように美人であるのか”と描くことが作品のテーマになり“その美人がスポーツをやっている“というのが作品の発端になって、“その美人は振られてしまった“というのがストーリーのアイデアになり“振られた結果、美人はより美人になった“というのが、最終的なキーワードになります。
    その結果“走ることの素晴らしさに目覚めた人は本当に美しい“というのがアイデアとストーリーを帰結させるためのプロットになって、表現としては、“その走り方とは、呼吸をしないある一瞬“に表現の力点を置いてみる、ということで、こういう視点を手に入れると映像作家は燃えるのです。
    そのストーリーのドンデン返しとして、“美人でなくても美人になれる“という普遍的な真理を語ることで、ストーリー・テリングに高めることができるのです。
    そして、それは本当におもしろいよねというのが、作品評になります。」p.72

  • 『機動戦士Ζガンダム 第四部 ザビ家再臨』by 富野由悠季(1986)

    『機動戦士Ζガンダム 第四部 ザビ家再臨』by 富野由悠季(1986)

    富野由悠季『機動戦士Ζガンダム 第四部 ザビ家再臨』(1986)読了。
    先日ガンダムを知らない若人に説明する際に、富野由悠季監督の設定発想の画期的な3点を上げた。

    ・(ロボットではなくて)モビルスーツ
    ・それはミノフスキー粒子のせい
    ・スペースコロニー