『ライプニッツの輝ける7日間』ミヒャエル・ケンペ著,森内薫訳,新潮社,2026〈独,2022〉読了。
あまりに素晴らしい傑作的名著!!
自分が長年考えてきたバラエティ的で曼荼羅的な思考と行動と、ライプニッツ(1646-1716)の理性への楽観と進歩への確信の鳥肌が立つほどの符合と符牒、そして今のAI時代の2/8雪の日に読んだことのシンクロニシティ。
ch1 進歩への楽観と、絶えざる遍歴(29歳)
ch2 譲歩を伴う創造:課題としての世界(39歳)
ch3 世界は眠っている、あるいは、万物は生きている(50歳)
ch4 世界を1と0に分解する:デジタル未来への道(56歳)
ch5 歴史と小説の間:いかにして悪から善が生まれるか(63歳)
ch6 ネットワーク化された孤立:孤独と共同性のあいだの緊張領域(68歳)
ch7 未来への助走:螺旋状の進歩とポストヒューマンの理性(70歳)
重要なのは、人々の好奇心や情熱を目覚めさせ、それらを(教会が言うように)悪徳とみなして戦うのではなく、進歩と繁栄のために利用することだ。p.30
世界において善を生み出すのは過剰ではなく、欠乏だ。p.38
神が計算し、考えを実行に移すとき、世界が誕生する。p.42
無意識の思考は、心では明確に理解できない無数の小さな認識から構成され、それらの無限の合計が積分記号“∫”の発明のようなひらめきを構成する。p.52
罪がなければ、進歩に向かう努力もない。人間の弱さと情熱こそが、社会を前進させる。すべての悪は利子とともに返済されるので、全体が合計されると、悪いことが全く起こらなかった場合よりも、結果はむしろ完璧に近づく。p.75
世界は常に、すでに最善のものだ。なぜなら、それ自体の中に最適化の可能性を秘めているからだ。人間は、可能なかぎり最善の世界を実現するための不可欠な部分だ。重要なのは最善のもの自体ではなく、そこに至る道だ。p.76
ゼロとは、何も無いわけではなく、数学的観点から見るとむしろ、無限の双子のかたわれだ。
たとえば、ボウルの中のリンゴを数えるには、少なくとも一つのリンゴがそこになければならない。でももしボウルに一つもリンゴがなかったら、それは、数え違いをしたのではなく、ボウルにリンゴを入れなければいけないということだ。
世界に完全な無はないという事実は、世界には本当の死も存在しない…ライプニッツの2進法はその世界観からすれば、数学の装いをした形而上学的な楽観主義にほかならなかった。p.151
神は、すべての可能的世界の全体を見通しているが、人間の自由を制限はしない。人間の自由とは、己の精神的傾向に応じて、多数の–しかし最終的には限られた数の–可能性の中からどれかを選び取ることにある。p.187
ライプニッツにとって小説は可能的世界という役割をもっていた。p.192
でっちあげられたものについて話すことは、でっちあげられていないものが存在する場合にのみ意味をもつのだ。p.194

