2/12 私か僕か、AかBかCか
自分は自分の文章を僕(ボク)で書くことが多い。数年前、いい歳して一人称を“僕”って書いてんのも幼稚かなと感じ、一時期、“私“にしてみたこともある。
でも、僕って、“しもべ”ってことなわけで謙遜の意味もあるのだろう。ならば、このまま僕で行ってもいいんじゃないかなと最近は、僕(ボク)でほとんど書いている。
あるいはその意味を組むならば、拙者…かw
そんな拙者が想うに、他者が想うことと、ボクが想うことは、当然のようにだいたい違う。
だいたい違うことは、むしろそれでいいんだけど、そのだいたい違う人には、ボクの想いが、ボクの想いの真意と違って捉えられることがあって、それだとなんかなかなか難しい。
伝わるかな?wえーと、つまり、
Aという考えのボク
Bという考えの他者
↑これはいいんだけど、
その他者が、ボクの考えはC
と捉えてしまうことがママある、ということ。
どうせ違うんだから、せめてCでは無くて、Aとして理解して欲しいな、ということかな。
で、AをCと想われる、だいたいの原因が、Aの中身というよりも、Aを説明する際の、ボクの表現の仕方ゆえの誤認だったりすることが多い。
それは、語気の強さとか、言葉の速さとか、声の大きさとかで。
これは、ボクとしてもこたえるのである、実際のところ。
特にAをAだと(良かれと思って)力説し過ぎると、ボクは表現が過剰にそうなりがちだからだ。
そして他者はそもそもBと考えてるわけだから、AでもCでも、どうせ違うんだから一緒でしょ!ってネガに思われがちだったりもするから、ややこしい。
ボク「あなたの考えはBで、勿論いいのです!でもボクの考えはCでは無くてAなのです!」
は伝わらず…
他者「あなたのCの考えが、私のBの考えと違うので、嫌だ」
…的に捉えられてしまうことの、虚無感とでもいうか。
だって僕はCではなくて、 Aだから!的な。
もう、どーでもいいかw
でも、これ結構、会話の際の大事なポイントなんだよなー。

