森博嗣『夏のレプリカ REPLACEABLE SUMMER』au了。
S&Wシリーズ7作目。
偶数章しかなくて、奇数章しかない前作『幻惑の死と使途』と同時期の話。
起こることと想うことの距離。何かが起こる(起こった)という客観性なんて、どんどん揺らいでいく、置き換えられていく。
カテゴリー: 小説
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『夏のレプリカ REPLACEABLE SUMMER』by森博嗣
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『The Locked Room』by Paul Auster
Paul Auster”The Locked Room”(1986)
ポールオースター『鍵のかかった部屋』原書で読了。
ニューヨーク三部作をやっと読んだ。
書くという行為は、何かを始めるために、何かを終わらせるようなものだ。三作品ともそれを教えてくれた。
読み終えて、やっと始まった気がする。 -
『フーコーの振り子 上』by ウンベルト・エーコ
ウンベルト・エーコの長編2作目『フーコーの振り子 上』(1988.邦訳’93)読了。
14世紀が舞台の『薔薇の名前』と打って変わって、20世紀の出版社が舞台。そこで繰り広げられるテンプル騎士団や十字軍等の圧倒的な幻惑的歴史的オカルト与太話の数々。
そんな蘊蓄を語りたい(遊びたい)が為の場の小説。
エーコにとって小説というのは遊戯場なのだ。心底憧れる。 -
『幻惑の死と使途 ILLUSION ACTS LIKE MAGIC』by森博嗣
森博嗣『幻惑の死と使途 ILLUSION ACTS LIKE MAGIC』au了。S&Wシリーズ6作目。作品中の犀川創平助教授の言葉にまさに得心。
「何かに気がついて、新しい世界が見えたりするたびに、違うところも見えてくる。自分自身も見えてくるんだ。面白いと思ったり、何かに感動したりするたびに、同じ分だけ、全然関係のない他のことにも気がつく。これは、どこかでバランスを取ろうとするのかもしれないね。たとえば、合理的なことを一つ知ると、感情的なことが一つ理解できる。どうも、そういうふうに人間はできているみたいだ」 -
『死海のほとり』by遠藤周作
遠藤周作『死海のほとり』読了。
今から40年前の中学生の時分、塾の国語の問題で出題された一節があまりに気になって、すぐ買って読んだ作品が『海と毒薬』。そこから彼にハマり『沈黙』『反逆』といろんな作品は思春期に読んでいる。と云うことは、そこから40年近く彼の作品には触れていないことになる。
今回未読だった『死海のほとり』を読んでみて、あまりに衝撃を受けた。きっと今読む作品だったのだ。
さて、自分はこれから何ができるのだろう。 -
『魍魎の匣』by京極夏彦
京極夏彦『魍魎の匣』読了。
なんて云うかうまく云えないんだけれど、最近ようやく他人に幻想(理想?願望?拘泥?)を抱かなくなって、小説が(よく)読めるようになった。
所詮全ての世界は自分の脳内(匣)でどう捉えるか?という自分が自分勝手に創ったフィクションなわけで、ならば現実も空想も本来大差が無いわけで、なんか世知辛い世の中(魍魎)も薔薇色の未来に一瞬で変わる(逆もまた然り)からなんだと想う。
きっとこの小説のように。 -
『封印再度 WHO INSIDE』by 森博嗣
森博嗣『封印再度 WHO INSIDE』au了。
S&Wシリーズ5作目。かなりハマっている。
もう続きが気になって気になって、ちびちび読もうと思ってたのに、結局続け様に聴いてしまった。 -
『詩的私的ジャック JACK THE POETICAL PRIVATE』by森博嗣
森博嗣『詩的私的ジャック』au了。
S&Wシリーズ4作目。読み終わった後のこの清々しい気持ちは一体何なのだろう?
わかることとわからないことが、きっとどちらも描かれているからなのだろうか。 -
『On Writing』by Stephen King
先週末に博論の指導教授に「今の角田さんが読んだらいいんじゃないかな」と進められたスティーヴン・キング『On Writing 小説作法』(2001)をその土日に一気読みして、本当に人生が変わった。この本が出版されたキングの年齢は今の僕と期せずして同じだった。
金科玉条の沢山の言葉を頂戴した。
ちなみにこのスティーヴン・キング『小説作法』は今では絶版で、僕は出版同時に買ったまま読まずに積読状態だった。
今は小学館文庫に『書くことについて』のタイトルで新訳があります!
ほんと本との出逢いで、イキカタは変わるのだ。
母に言われて無限の可能性を感じたのを憶えている。閉じたドアいっぱいの広大な建物に案内されて、どこでも好きなところを開けてごらんと言われたようなものだった。ドアは一生かかっても開けられないほどたくさんあると思ったし、この気持ちは今も変わらない。 P.26
小説に関する限り、構想の出どころとなるアイディア集積所も、ストーリー交換局も、埋もれたベストセラーの島もない。これは行ける、という知恵は、ある天気晴朗な日に、何の前触れもなく空から降って湧くものだと思っておけば間違いない。およしかけ離れた別々の発想が寄り集まってこと新しく陽に映える。作家の務めはそうした発想を探り出すことではなく、目の前に浮かんだ時、それと認めることである。 P.37
「最初に書くのは自分のためだ」グールドは言った。「書き直すに当たっては、余計な言葉をすべて削ることが第一だ」 p.62
ドアを閉じて書け。ドアを開けて書き直せ。すなわち、文章の出発点は自分だが、書かれた文章は人の目に晒されるということである。書くべきことをしっかり把握して正確に、そう、できる限り正確に表現するならば、完成した文章は、それを読み、また、批評したいと思う人々すべてのものである。幸運な書き手であれば、批評するよりは読みたいと思う人間の方が多いはずである。 PP.62-63
物書きは孤独な仕事である。信じてくれる誰かがいるといないではわけが違う。言葉に出すにはおよばない。信頼が伝わればそれで充分である。 P.83
人は誰でも文章を書くことができるし、また書くべきである。一歩踏み出す勇気があれば、きっと書く。文章には不思議な力がある。あらゆる分野の芸術と同様、文章は命の水である。命の水に値段はない。飲み放題である。心ゆくまで、存分に飲めばいい。P.P.315-316