自分の使う言葉というのを、妙に気にしている。
それは辞書的に正しいとか、慣用的にそうだとか余り関係なく、自分のinspirationに併せてというか。
例えば、
・「おもう」は、「思う」ではなく、「想う」を使う。
・「たのしい」は、「楽しい」ではなく、「愉しい」を使う、楽しいは楽(らく)とは限らない。
・「いう」は、「言う」ではなく、「云う」を使う。
・「〜なこと」には、「事」を使わず、「こと」にする。
・「行く」は、訪れた場合は、「訪く」とする。
・「良い悪い」は「いい悪い」と書く。自分にとって「いい」は「良い」とは違うけど、「わるい」は「悪い」意味なので。
・「はじめる」を「始める」とあまり書きたくない。「終わる」は「了る」と書きたい。
・「見る」と「観る」、「立つ」と「起つ」を微妙に気にしている。
・「わかる」に、「分かる」は使わない、分けてないから。同様に「解る」「判る」もあまり使いたくない、「解って(判って)ないから」。
・「積読」は使わない、積んでないから。「蓄読」と称している。
・audibleで読み(聴き)了ることを、「au了」としているw
・なんとなく「件(くだん)」と「類(たぐい)」は使いたい、なんとなく。
・句読点「、」「。」は結構使う、今の時流に抗って。
