先週末に博論の指導教授に「今の角田さんが読んだらいいんじゃないかな」と進められたスティーヴン・キング『On Writing 小説作法』(2001)をその土日に一気読みして、本当に人生が変わった。この本が出版されたキングの年齢は今の僕と期せずして同じだった。
金科玉条の沢山の言葉を頂戴した。
ちなみにこのスティーヴン・キング『小説作法』は今では絶版で、僕は出版同時に買ったまま読まずに積読状態だった。
今は小学館文庫に『書くことについて』のタイトルで新訳があります!
ほんと本との出逢いで、イキカタは変わるのだ。
母に言われて無限の可能性を感じたのを憶えている。閉じたドアいっぱいの広大な建物に案内されて、どこでも好きなところを開けてごらんと言われたようなものだった。ドアは一生かかっても開けられないほどたくさんあると思ったし、この気持ちは今も変わらない。 P.26
小説に関する限り、構想の出どころとなるアイディア集積所も、ストーリー交換局も、埋もれたベストセラーの島もない。これは行ける、という知恵は、ある天気晴朗な日に、何の前触れもなく空から降って湧くものだと思っておけば間違いない。およしかけ離れた別々の発想が寄り集まってこと新しく陽に映える。作家の務めはそうした発想を探り出すことではなく、目の前に浮かんだ時、それと認めることである。 P.37
「最初に書くのは自分のためだ」グールドは言った。「書き直すに当たっては、余計な言葉をすべて削ることが第一だ」 p.62
ドアを閉じて書け。ドアを開けて書き直せ。すなわち、文章の出発点は自分だが、書かれた文章は人の目に晒されるということである。書くべきことをしっかり把握して正確に、そう、できる限り正確に表現するならば、完成した文章は、それを読み、また、批評したいと思う人々すべてのものである。幸運な書き手であれば、批評するよりは読みたいと思う人間の方が多いはずである。 PP.62-63
物書きは孤独な仕事である。信じてくれる誰かがいるといないではわけが違う。言葉に出すにはおよばない。信頼が伝わればそれで充分である。 P.83
人は誰でも文章を書くことができるし、また書くべきである。一歩踏み出す勇気があれば、きっと書く。文章には不思議な力がある。あらゆる分野の芸術と同様、文章は命の水である。命の水に値段はない。飲み放題である。心ゆくまで、存分に飲めばいい。P.P.315-316
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